July 02, 2008

あっぱれ長野!

縁あって長野に行ってきました。

嫁さんの知り合いのチベット・サポーターの坊さんと共にまず善光寺にお礼参り。そこで善光寺の僧侶の方に会ってダラムサラに行ったときの話をしました。ダラムサラではTVで聖火リレーを見た何人ものチベット人から、

『聖火リレーの時は日本のサポートありがとう。もしスタート地点を断ったお寺の人に会ったらお礼を伝えて欲しい』

と伝言を頼まれていたのだが”そんなチャンスあるかいな?”と、まさか本当に伝える日が来るとは思ってなかった。そこでその旨伝えたところその僧侶の方は、『本当にうれしい、やってよかった・・・』と涙ぐみながら答えていらっしゃいました。噂では、出発地点を断ることに関して反対も多く、若手の僧侶を中心に寺を出る覚悟での話し合いだったようで、かなり苦労されたようです。いやはや、善光寺の皆様どうもありがとうございました。

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また今回の一件で、宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会”スーパーサンガ”が出来たそうです。参加は僧侶のみで小生は参加できませんので知り合いの僧侶には宣伝するようにしています。

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もう1つエピソード。ひさびさの日本のチベットネタです。今回長野に行ったついでにチベットにまつわる宝篋印塔を見に行ってきました。

長野市街地の北部の山の中腹にある”西蔵経宝篋印塔”は、チベット亡命政府樹立から2年目の1961年に多田等観氏と3人のチベット人が善光寺に参拝したのを記念して、千曲川の小石にチベット語でお経を書いたマニ石や般若心経を世界平和を祈って収められ、その後、毎年5月に法要が行われるようになったそうです。

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ただ驚きなのは今でも毎年法要をしているということ。多くの場合には年々小規模になって行き、2年やったら次は7年目と13年目かな?みたいになりがちなのに今でも毎年続けているそうです。当然毎年参加される方は減る一方なのでしょうがこれはすごいことだと思います。ある意味参加されてるみなさんは45年もチベットサポータをされてるわけなんですね。

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今まで長野ってスキー以外であまり縁がなかったけど色々考えさせられてしまいました。山も古いお寺もあるからチベットといろんな意味で縁があるのでしょうか?

いやはや長野あっぱれ!

・・・おまけ。こ、この幼稚園は名前が濃すぎる!

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May 12, 2008

チベット亡命医師の手記/四川省で地震

チベット人で日本の医師である西蔵ツワンさんの手記が現在発売中の文芸春秋に載っています。

チベット亡命医師の手記 

私は見た 中国の「洗脳・密告・公開処刑」

7歳の少年は「ダライ・ラマは反逆者」と教えられた

西蔵ツワン(武蔵台病院副院長)

西蔵さん1952年シガツェ生まれで、1959年の動乱当時は7歳でもろ中国の洗脳教育を受けていましたが、その後父親に騙されて?インドに亡命することになったそうです。その後は難民キャンプからインドの英国式パブリックスクールへ。そして故・木村肥佐生氏の導きで日本留学して医学の道を志されました。

西蔵さんには先日の埼玉県鴻巣市のチベットのイベントで仕事で忙しいところを来ていただき、チベット問題の話だけでなく通訳もしていただいたのですが、非常に温和な方でこのような激動の半生を送られたなんて微塵も感じさせません。

とにかく読みごたえはありますのでお勧めします。

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四川省で大地震だそうですね。震源地はアバで100KMも離れている成都でもかなりの死者が出てるとか。ただ都市部は救助も復旧も早いでしょうが、震源地のアバも含めこの周辺のアムド・カム地方の人達の安否が気になります。現在この地域は外国人の立ち入りが禁止されているそうなので、ここにちゃんと外国人を入れてくれるのか気になります。ビルマみたいなことにならなきゃいいけど。とにかく漢人、チベット人、その他の民族の方も分け隔てなく亡くなられた方にはご冥福をお祈り申し上げます。またこれ以上の被害が出ないように中国政府には迅速かつ柔軟な対応をお願いします。

ただ今回の地震の原因は、チベット動乱の影響で坊さんがお勤めできなくなって羅刹女が暴れちゃったのかも?

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April 29, 2008

ダラムサラ到着

昨日ようやくダラムサラに着きました。とにかくくそ暑いデリーから早く脱出したてダラムサラ行きの夜行バスの乗ったのはよかったものの夜中にパンクで修理工場に入ってる間にゲロってしまった。やっぱり疲れてる時にビールとカレーは食い合わせが悪いみたいです。よい子は真似しないでね。反省。

結局ダラムサラまでに合計パンク3回。3時間ほど遅れでようやく到着した。少し休憩して町をぶらついてみたけど8年前から比べて中心はあんまり変わってないけどはずれの方は建物が増えててだいぶ雰囲気が変わってました。

町の雰囲気は混乱はなく落ち着いてます。ただ町中のあちこちに殺されたチベット人たちの遺体の写真がいっぱい張ってある。これの真偽についてはいろいろ言われてるんだろうけどまず見た目がチベット人っぽいこと、遺体が銃で撃たれたり殴られたりしていること、これまでこういう写真があれば表に出てきているはずだということで今回の動乱の写真だと個人的には思っています。

またお寺の前にはハンガーストライキ中の人たち10数人ほどいてすでに44日経ってるという表示がありました。頑張ってほしいけど無理しないでね。

それから以前からサポートしている子供の母親の家に行って少し話しを聞いてきました。どうやら彼女の弟がラサのお寺にいたんだけど行方不明になって心配しているらしい。聞くところによるとデモとかしてつかまるのを恐れた若い僧侶たちはその後山に逃げ込んでしまってるらしい。そういう人たちは結局残された道はヒマラヤを越えて亡命をするしかないんだろうけどなんとか無事でいてほしい。

あとあるチベタンから「日本人のチベットサポートに感謝します」という言葉をもらいました。ちゃんと長野を見てくれたようで嬉しい限りですな。

夜はキャンドルナイトがあったので参加してきました。たぶん49日の法要だと思うんだけど1000人ぐらいの人がお寺にロウソクを持って集まり、僧侶と一緒に全員で読経のあと黙祷。最後に国歌を歌っていました。

とにかく着いてそうそういろんなことがありました。また追ってレポートします。

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January 17, 2008

ウィグル料理店”ムラト”

前から行きたい行きたいと思っていたウィグル料理店”シルクロード・ムラト”に行ってきました。

外観は、上の看板と後からつけたらしき柱とガラスには大きな字がいっぱい書いてあるけど一瞬見ただけでは何屋さんなんだかよくわからない感じである。

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中はカウンターといくつかテーブルがあってほぼ満席。客層も近くに大学があるせいか若い人が多い。さて店の雰囲気というと普通のレストランという感じなんだけど、天井にブドウとか布とかあったりウェイトレスのエプロンにちょっとウィグルの布が使われていたりして所々にウィグルを演出している。いろいろ工夫して頑張ってますなあ。

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とりあえずウィグル料理の定番のポロとラグメンの他に何品か頼んで食ってみた。うーん懐かしい。ウィグルの西の端タジキスタンの国境の町イーニンで美人女将がやってる店に何度かポロを食べに行ったのを思い出した。

さて食べ終わった頃に留学生かな?眉毛が少し濃い若いウェイトレスに話かけてみた。

『ウィグルの人ですか?』

『はい、ウィグル人です。ウィグル人に見えませんか~?』

『眉毛でウィグル人だとわかりますよ。』

『私も実はお客さん達が入ってきた時に気になってたんですよ~!』(嫁さんも眉毛が濃い)

なにげない?会話だったんだけどよく考えたら一般的な日本人はウィグルの人がどんな顔してるかなんて知らんわな。

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帰り際にカウンター越しの店員と客からウィグル語らしき言葉が聞こえてきた。こんな日本の片隅でもウィグル人達も頑張ってるんやねえ。お店もいつまでも頑張って繁盛させてほしいもんですな。

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December 14, 2007

カイラスに行ってきた。

カイラスに行ってきました・・・ただカイラスはカイラスでもカイラスレストランです。それは京都の丸太町にひっそりとあります。

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チベット好きの夫婦が昨年オープンしたまだ新しいレストランです。外からの見た目も中もどちらかと言うと和風のレストランなんだけどそこここにチベットらしさというかカイラスがあります。またメニューもこだわりがあるのかベジでした。他にもチベ好きの知り合いが作ったらしく服や小物の販売も行っています。

そのうちの1つ。看板もカイラってます。

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そしてこの箸置き。カイラスにしてはちょっと凸凹してるけどとりあえずチベットしてます。

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さらにケルンもありまっせ~!

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2階にはなかなかいいチベットライブラリもあるし、1階にはチベットに関係ないけど”もやしもん”もありました。けっこう和める場所なので京都にお寄りの節にはどうぞ行ってみてください。

カイラスレストラン

京都市左京区聖護院山王町19-2[地図
TEL: 075-752-3127

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August 06, 2007

チベットに一番近い場所?2007

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昨年のうらるんたさんに続き、今年は私が日本でチベットに一番近い場所行ってきました。

昼過ぎに五合目の駐車場を出て、夕方にはタルチョがかかってる八合目の宿に到着。さっそく山小屋で働く知り合いがチュバを着て懐から出したカターでお出迎えがありました。彼は、夏の居所は富士山の山小屋、夏にはチベットということで年中高山病にはならないらしくなんともうらやましい限り。

さっそく中に入ると、チベットカーテンはあるわ、注意書きもチベット文字だわ、さらにはスリッパにもチベット文字が書いてあるけど、下の畳を見たらやっぱりチベットには見えんわな。

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トイレに行くと洗面台の注意書きもチベット語。英語とかハングルとか中国語はいらんのかいな?

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本当は頂上でルンタを撒きたいぐらいだったんだけど流石に日本でやるとひんしゅくもんなのでやめました。あとできたら山小屋でバターでも出してもらえると雰囲気出るけどなんせ500mlのペットボトルが500円だから水もバターも持って上がるだけでも大変か?

何年か前に登ったときにも思ったけど登るときに下から山小屋を見上げるとラダックのお寺を思い出す。 下から人のいなさそうなゴンパを見上げて『あそこまで登っても鍵守りの坊さんがいなかったらどうしよ?』なんて思ったりしたけどそんな不安はどこへやら。いろいろお世話になりました。

でも、また行いたい?って聞かれてもこれで二度登るバカになってしまったので三度目はしばらくいいですわ。

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August 28, 2006

ちべ土産その1

その1と書きながらまたいつものように途中で終わってしまったらごめんなさい。

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今回のカム旅行で買ってきたものを順番に紹介して行こうと思いますが、一つ目は”ダライラマのドキュメンタリー(中国版)”です。

これは中国の中央電視台が1997年に作成したドキュメンタリーなんだけど内容が中国に都合のいいように作られてるのは当然としても出てくる映像は見たことないものばかり。

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まずは、1930~1950年代の古い映像。これはチベットの一般的な生活のほかに幼少~亡命前までのダライラマの映像が大量にあって一見の価値があります。ただ中にはカラー映像もあるんだけどこの当時にカラーフィルムがチベットにあったとは驚きです。まさか最近になってコンピューターで色をつけたのかな?まあ何にせよ古きよき頃のチベットがお好きな方ならけっこう楽しめます!

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ただまあのんびりした風景だけではありません。目を被いたくなるようなポタラ前を進軍する人民解放軍とかプロパガンダみえみえの裕福な貴族に対比した労働で疲れている農夫とさらには中国の言う解放後に喜んでいる人民なんかも映像もあります。

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あとおどろいたのはチベットでは裏切り者とされている”アボ・アワンジグメ”氏のインタビュー。なんか都合のいいことばっかり言ってる気はするものの現在なんと96歳!まだ生きていらっしゃったんですね。

ダライラマの映像や写真はチベット本土内では規制されているもののやはり亡命前のダライラマは問題ないんだろか?北京のチベ寺”雍和宮”のミニ博物館にも毛沢東と一緒に写ってる写真はありました。

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こういうVCDもカムだから売ってたのかな?今回行ったリタンのお寺にもダライラマの写真が堂々と置いてあったり、町のお店にも写真入ペンダントが売られていたりしてけっこうゆるゆるのようです。これは四川省だからなのか?荒くれ者の多いカムだから当局も規制しにくいのか?

まあどっちにしろ当局も写真ぐらいでケチケチするなよなあ~。

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May 16, 2006

草津よいとこ一度はおいで~♪

親が熊谷にやってきたのでたまの親孝行で草津温泉へ・・・。

とりあえず名物の”湯畑”と”湯もみ”を見て散歩でした後になんちゃらと煙は高いとこに行くということで、温泉街を見下ろす高台にあるお寺”光泉寺”にお参りに行ってみた。

さてお参りも終えて横にある灯篭を何気なく触ってみたらどうやら回る様子。

『おっ!こんなところで日本のチベット発見!』

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大型の木製マニ車は全国各地にあるらしく、それほど珍しくないらしいけどこれだけ小型のものは初めて見た。

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しかも横には、キリン、うさぎ、ゾウっぽいすかしもあってなかなかおちゃめ。隣にある幼稚園の情操教育のためかな?

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出来たらこのサイズの木製マニ車をお寺の周りにぐるりと一周置いて欲しいわ~。

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January 12, 2006

また買ってしまった。

とりあえず今回のチベット旅行で買ってきたもの紹介。

物欲に惑わされるのもよくないし部屋が狭くなると思いながらも購買欲が抑えられない。困ったもんだけどでもやっぱり自慢したい。という訳で紹介します。

●電気マニ車

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前から欲しかったブツけど今回ラサではなく帰りに成都のチベット人街で買いました。ただ中にお経満載だから意外と持って帰ってくるのが重かった。しかし一番気になってたのは中国のコンセントの電圧は200Vだけど日本は100Vなのでちゃんと回るかということ。ただ”電圧が低い方だから壊れたりブレーカーは飛ばないだろう”とタカをくくり、いざコンセントに恐々差し込んでみたらゆっくりだけど回り始めた。よっしゃ!これで来世も安心だ。

●ミニチュア皮舟

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たまたまラサで見つけた大きさ10cmぐらいのミニ皮舟。バルコルの南の方でリクスム・ゴンポから北に少し入った右側にある”郷村手工業公司”というNGOがらみの産地直営のお店を見つけて気に入って買いました。こういうの好きなんよな。

●銃座?

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以前からチベットのゲリラ兵等の写真を見て気になっていたのが銃の先についてる2本のトゲ 。何に使うのか思ってたら隠れるとこの少ないチベットで猟銃を使う時に伏せなきゃならんのでその銃座は尖って曲がってて地面に突き刺さるようになってる。これをバルコルで見つけた時は感激して買ったものの日本に持ち帰るには不安があった。

”税関で引っかからんか?”

ただあくまでも銃座だから銃刀法には引っかからないはずだけど、先は尖ってるし銃の部品扱いにされたらどうしよう?と思いながらも成田について税関へ・・・・。

 職員 : 『これ何ですか?』

 オレ : 『あ、チベットで銃の先につける銃座です』

 職員 : 『へ~そうですか。じゃ銃は持ってますか?』

 オレ : 『ははは、持ってませんよ・・・・。』(苦笑)

こんな感じで結局問題なく持ち込み成功。今は家でオブジェになってます。

なんだかんだでいろんなブツを家に持ち込んでしまった。これでまた部屋が狭くなるなあ。

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November 08, 2005

インド人すご!

赤羽に住んでるチベ友から”家の近くにチベットっぽいお寺がある!”と聞いたので行ってみた。

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赤羽駅から南に5分ほど行ってコンビニの横から路地に入るとそこに中国っぽい門が見えて来た。お寺の名前は普門院。う~ん、真言宗のお寺の割にはちょっと怪しげや。

さらにうるさい犬に吠えられながら奥に入って行くと、何やら怪しげな仏塔が現われた。形はどうもチベット風というよりはインド風でブッダガヤにあるのに似てるかな?近づいてその扉の上を見ると何やらヒンディっぽい文字が・・・。

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これはどういう意味や?疑問に感じたので、後日職場のインド人”M氏”に写真を見せてみると『これはヒンディじゃなくてサンスクリットだ!』と言いその場で読み始めた。

うーぱんにゃーす・・・さるうぁさんすかーら・・・・

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お~読んどる読んどる!すごいなこいつ!サンスクリット語はエリート・インド人のたしなみだと聞いてたけどたいしたもんだ。

とりあえずその場で英語で意味を説明してくれたが専門用語が多いこともあってさっぱり意味がわからなかったので書いてくれと頼んだら昼休みにメールが来た!そいつを和訳するとこんな感じ。(英語も仏教も自信ないので正直訳にも自信ないですが・・・)

UPANIYA SARVSANSKARA || NIRATMAN SARVDHARMA ||

           SHANTAM NIRVARNAM ||

いろんな解釈が出来ると思いますが、私はこのように理解します。

”もしあなたがこのきれいな心を持った人の教えを得て、SANSKARA (因果)と全ての宗教上のDHARMA (法)に従って行けば、 あなたは平和な生活を得てMOKSHA(NIRVANA(涅槃))を成し遂げることが出来るでしょう。 / 輪廻からの解脱”

おそらく仏教の教えによる声明だと思います。

追伸、久しぶりに素晴らしいサンスクリットの言葉に出会いました。

なんでこんな短いサンスクリット語がこんな長い文章になるのかはよくわからんが、ぶっちゃけ、サンスクリットを辞書なしにその場で訳すというのは、日本で言うなら万葉集を辞書なしで現代訳するぐらいのもんじゃないの?

彼は特別かもしれんが(もう1人のインド人はよくわからなかったみたい)エリートのインド人っていろんな意味ですごいなと。彼らは大学出て技術屋で日本に来てるぐらいだからかなりのエリートで実家に帰ればおそらく大豪邸に住んでメイドさんがいるような暮らしをしているのに日本に来たら狭い寮に押し込まれ、飯も不自由だし、共同の風呂に入らされるしで少し可愛そうになってくる。

以前、出張した時にで寮の知り合いの部屋に泊まって朝早く風呂に入ったら、インド人が数人パンツ穿いたままで並んで体を洗っていた。確かに夜だと日本人が多いから恥ずかしいんだろうなあ。

さてこのM氏。一応”ヒンドゥスタニー”という感じでもろインド人なんだけど、母親はダラムサラ出身である上に父親が軍人で小さい頃にはシッキムのガントクで育ったそうな。

なんだか妙な形だけどやっぱりチベットとの縁があるもんですなあ。

余談だけど職場の2人のインド人同士はお互いに言葉が通じないらしくいつも英語で会話してます。インド人も大変だ。

普門院の地図

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September 06, 2005

天安門広場のマンホール

SANY4137天安門広場の横、道路を挟んだ国立博物館前の歩道上に、20×70cm程度の長方形のマンホールが等間隔で大量にならんでいる。

実はこれは”公衆便所”で蓋を開けると下はミゾでつながっており全部で273個あるそうな。天安門広場で大規模な集会があった際にはこの蓋ははずして上にテントを張れば大型公衆便所に早変わり。しかしその際にここには大量のナニが流れるわけだが、シェルパ斉藤著の東方見便録の試算によるとこんな量になるらしい。

50万人が集まる大規模な催しが、この天安門広場で開かれたとしよう。毎日規則正しく通便する人が7割で、そのうち朝に家を出る時にし損ねた人が1割、夕方まで我慢できず会場で便意を催した人がその2割と仮定する。となれば、この臨時トイレには1日に7000人分の新鮮なウンチ、ひとりあたりお茶碗一杯程度すると仮定しておよそ2tトラック満載のウンチが集結するわけである。これが尿の場合には、もっとすごい数値になる。誰もが1日に複数回は尿をするから、最低ひとり1回200cc出すとして、なんと10万ℓの尿が流出することになる。都庁のデータによれば中野区の神田川で1秒間に流れる水量が500ℓというから、天安門の尿は神田川の3分20秒もの流れと同じなのである。かぐや姫のあの名曲『神田川』が3分5秒くらいだから、もし天安門に集まった尿を神田川に流したとしたら『神田川』を聞いてる間中、神田川には尿が流れ続けることになるのだ。

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実際に足を乗せてみると隣との距離が異様に近い。まあ穴が細長いので隣と交互にずれるようにすれば足が当たることは無いと思うがさてどっち向いてするんだろ?おそらく中国人の習慣だとみんな通路のほうに向かって座るんだろな。でもタイミングが悪いと、1ケ所だけ空いてるとこに座ろうと思ったら右と左で座ってる位置が違ってて”これじゃ片方の足が当たるやないか・・・”とブツブツ言いながらちょっと斜め方向向いてやらなきゃならなくなりそうなのがちょっと心配になる。

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September 05, 2005

モンゴルのチベット

まずは小言から。

内蒙古”って言うけどモンゴルという国があるんだからそっちが””じゃないの?ったく中華主義なんだから!もう!

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さてそんな中国命名の内蒙古自治区のシリンホトに行ってきました。ただモンゴルに行ってしまってもやっぱりチベットを求めてしまう悲しい性が出てしまって行ったのが内蒙古4大寺院の1つである”貝子届(バイズミャオ)”に早起きして行ってきました。全部のお寺を見渡せる広場に着いてぐるっと眺めて見ると右のほうにある離れの小さなお堂の勝手口から人が出入りしてるのを発見!そこから入ってみるとお経を上げる声が聞こえてきた。

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五体投地している人達の邪魔にならないようにそっとお堂の中に入ってみると、中には4~50人ぐらいの坊さん達が勤行してるんだけど着ている服がなんとも興味深い。チベット風がいるのは当然として、他にモンゴル風、漢族風と様々入り混じっています。そしてお堂の周りにはモンゴルらしく?パオはあるし、お経を背負った人がそれも含めてコルラしてるのも本場チベットでは見られない光景です。

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さて朝のお勤めも終了したので、そこを出て本堂の前まで行ってみると、”げっ!入場料20元!”仕方なしにしぶしぶ払って中に入ってみると、立派な建物、立派な仏像はあるものの、坊さんなし、信者なし、生活感なしで完全な観光寺になってて残念。まあ日本も人も事は言えんけどね。前にタイの坊さんを京都案内した時に『なんでお寺なのに坊さんがいないの?』と聞かれて答えに窮したのを思い出した。

門前町?の広場の周りにある民族ショップに入ってみると確かにモンゴルの服とか帽子とかはあるもののやたらチベットっぽいものが目に付く。モンゴルとチベットは歴史的に元の時代からつながりが強いので似たような物はあるのは当然なんだけどそれにしても多い。最近、漢民族の間でチベットが流行っててチベットのアクセサリをつける人が増えてるらしいけど、ことモンゴルでのチベットブームは約800年間の筋金入りだからこれも当然か?

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August 22, 2005

北京のチベット

有名どころの白塔と雍和宮は以前行ったのでおいといて、暇だったのでマイナーどころに行ってきました。

・黄寺(西黄寺)

be3 地下鉄鼓楼大街から北に歩いて30分。地図上では西黄寺になってました。ここは中国政府が大物リンポチェをカルマパ・ラマのようにインドに逃げたり反政府的な行動を取らないように再教育する場所と言われているお寺です。 実際に行ってみると改装工事が終わったばかりのようなきれいなそれっぽい建物はあるし、大きな白塔もちらっと見えるものの黄寺の表示はなく地元の人に”黄寺はどこ?”って聞いても誰も知らない。そこで横に通用門を見つけたがそこには”中国蔵語系高級佛学院”の文字。そこで早速ダメ元で中に入らせてもらうべく警備に”入っていい?”って聞いたら”ダメ!”と一蹴。それでもしつこく”ちょっとだけ!”と粘ってみてもやっぱりダメでした。ちょっとぐらい握らせてやりゃよかったかな?(笑)

・マキャアミ(瑪吉阿米)

be1 地下鉄建国門近く。しかしあいかわらず中国語の表記の基準がよくわからない。なんでマキャアミがマージーアーミになるんだろ?8:00頃~10:00頃にショータイムあってぶっちゃけナンマです。この時間は客でいっぱいなので予約が必要です。ショーが始まるとあちこちの客にカターをかけ始めるんだけど、このカターは後で舞台の歌手にかけてあげてもよし、記念に持って帰ってもよしです。歌、踊りとどんどん披露されて行くわけですがびっくりしたのは女性ダンサーの服で派手なラサ式のチュバで上下が分かれててお腹が出てました。やっぱり動きやすさ重視なんかもしれんけど最近日本で時々見る裾の短い浴衣を思い出した。最後に従業員も客も交えてみんなでぐるぐる回りながら踊ります。でもその中に漢族じゃないの?と思うような娘が上手に踊ってます。たぶん服とか髪型がチベット人ぽくないんで、よくわからないんだけどたぶんチベットからこんな大都会に出てきて頑張ってるんやねえと少し感心しました。こんな感じで間に休憩を挟んで2回やります。この前日の遅い時間に行ったときは客がみんなで亜東の歌を合唱してました。なんだか都会にある沖縄料理の店のノリと一緒ですな!そうそうチベット産のワインも飲めますよ。

・国立博物館

be2 天安門広場横。ここの蝋人形館に入った途端、カターを持ったチベット人女性の蝋人形が迎えてくれます。あとパンチェンラマの蝋人形もありました。でもこういうのはちょっと苦手ですわ。

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July 06, 2005

噂の名古屋チベ寺

行ってきました。チベもの界で噂になっている名古屋のチベット寺!
自ら”名古屋のチベット”と呼んでチベット祭りまで催してしまう名古屋市守山区の岡の上にそれはあって、春日井方面から河を渡って右折。車で坂道を登っていると突然それは現れました。

cha1お~これは想像以上にすごい出来です!
早速石段を高山病で息を切らせながら(笑)登ると門にたどりつきました。
そのチベット式の非常に立派な門の左右には大マニがあってなかなか雰囲気でてます。
そしてこの重いマニ車を早速ゆっくり回してみると、”チーン・・・”と鳴らないのでちょっと拍子抜け。やっぱりあの鐘の音が無いと回した気がしない。

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そして本堂入り口の左右には中国風の四天王?があって多少違和感を感じたけど、北京の雍和宮とか白塔もこんな感じだったと無理やり納得させた。そしてその前には、七夕らしく笹とたくさんの短冊が・・・?さ、笹?ま、まあチベットのパンダは食べるからいいか・・・。(汗)

さらにそこに掛かってる短冊の1枚を見ると”商売繁盛、○○小児科”・・・やっぱりなんか間違ってないか?

気を取り直して、中に入ると広さは本物のジョカンと比べたら小さいものの真ん中には僧侶達が座る長いマットみたいなのはいっぱいあるし、回りには立派な壁画もちゃんとあって造りはチベットのゴンパそのもの。でもなんか物足りないと思ったらバター臭くないことに気がついた。

そしてメインのご本尊であるシャカムニ像は確かにジョカンにあるものと同じような大きさ、形で雰囲気は出てました。ただ”頭をごっつんこ”させてもらえそうになかったのが残念・・・。(内部は撮影禁止だったので、写真はラサのジョカンにある本物のシャカムニ像です。)

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とにかくここに来た率直な感想を言えば、このお寺の出来は素晴らしいのに犬山リトルワールドのゴンパと同じようなテーマパークっぽい空虚感を感じました。
それは何故だろうと考えてみたらそれは、チベットの僧侶がいないせいだと思います。仏作って魂入れず。やっぱり仏・法・僧の1セット揃って仏教なんだから僧侶がいなきゃ本物にはならんでしょう。
まあ話では今、常駐するチベット僧を探しているもののなかなか中国の許可が下りなくて困っているそうなので今後に期待しましょう。

さてこのゴンパを建立した住職のことを書こうと思ったのですが、実際にどう書けばいいか迷ったので思ったまま書きます。
実際、ホームページでは”世界初!チベット仏教外国人受戒者”と書いてあり、多くのチベもの達を敵に回してしまった感はあったのですが彼女の著書を読んでなんとなく意味がわかりました。

これは正確に言うと”中国認定”世界初!チベット仏教外国人受戒者という意味になるようです。つまりチベットが中華人民共和国に取り込まれてしまって初めての公的な外国人チベット僧だということです。
おそらく歴史的には世界初のチベット仏教外国人受戒者は、非公式には明治末期にチベットに入った河口慧海だと思いますが彼は日本人であることを隠していたので、公式には大正時代にチベット入りしてゲシェー(博士)の位まで得た多田等観でしょう。(間違ってたら突っ込みよろしゅう)

ぶっちゃけ、彼女は自ら中国政府にかけあってチベットでの修行を認めてもらったり、チベットに学校を作ったり、ついにはこんな立派なチベット寺まで建ててある意味すごい人だと思わせる反面、世界初といううたい文句だとか、著書での色んな突っ込みどころだとか(のっけから”ジョカンはチベット仏教のメッカ”という文字にのけぞった)、なんだかいろいろ損してるなあ~。というのが率直な感想です。

cha3まあ実際にはこのお寺に行ってみて特に怪しい感じも無かったし、無料だし、スタッフも親切にしてくれたし、なので皆さんも安心して(笑)行ってみて下さい。後は各自の判断にお任せします。(写真はゴンパ上のチョルテンから見える名古屋市街。夜景がきれいかも?)

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June 29, 2005

天上草原

前はチベット映画で今度はモンゴル映画を見てきました。(たまにはメジャーな映画も見ろってば)
題名は、『天上草原
オープニングから草原でホーミーとなかなか雰囲気を盛り上げてくれます。

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あらすじ(抜粋) 母親に捨てられ、失語症に陥ってしまった少年・フーズは、父親の友人であるモンゴル族のシェリガンに連れられて草原にやって来た。父親も監獄に入れられているフーズは天涯孤独の身。今日から自分が全く知らない草原での生活が始まるのだ。不安と恐れを感じるフーズだが、シェリガンと5年前に離婚した草原の女性・バルマとシェリガンの弟・テングリは、彼を温かく迎え入れてくれた。町から来たフーズにとって広大な大地にポツンと佇むゲルでの生活は戸惑いの連続だった。しかし、そんな彼をシェリガンは荒々しく、バルマとテングリは優しく包み込んでやるのだった・・・。

セリフは、この虎子(フーズ)が大人になってからの回想部分だけは中国語だけどそれ以外は全てモンゴル語なのでさっぱり何を言ってるかはわかりません。でも自然でなかなか良いです。
少数民族映画といえばチベットの娘”イシの生涯”もあるけどチベット語に詳しい人曰く『方言が強くて大笑いした』そうです。だからきっとこの映画も方言とか隠語なんかもいっぱい出てるんでしょうなあ。

感動的なのは子供だけの裸馬でのレースシーンで壮観です!大勢で鞍もつけずに爆走するのは少しハラハラするけど流石に”モンゴル男性の天国の1つである馬の上なんですなあ!!”(あと2つは何だったっけ?女性の胸の上と・・・??)

ちょい気になったのは、オボの周りを左回りで回っていたこと。モンゴルで信じられているのはボン教じゃなかったはず。何か理由があるのかな?

チベットの文化はそれなりに知ってるつもりだけどモンゴルのことはほとんど知りません・・・というわけでこの夏はこのあたりに出没予定。あぁなんだか楽しみになってきた!!

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June 02, 2005

シルクロード旅行記1

ここしばらくチベットネタが無いのでこのゴールデンウィークに行ってきたシルクロードの旅行の話しを書きます。

今回の旅行はまず新疆ウィグル自治区のウルムチに飛んでそのまま夜行列車に乗り敦煌に向かいました。
ご存知の通り敦煌には莫高窟という仏教遺跡があります。

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莫高窟は歴史的には5~15世紀にも渡って作られており一時期吐藩が支配していた時期もありました。
単純に計算したら作り始めて1000年の歴史がありますから当然落書きも1000年分あるようです。
漢字中心の落書きの中にやっぱりチベット語の落書きがありました!!(写真撮れなくて残念)
比較的新しそうだったんだけどいつの頃なのか?何と書いてあるのかわかりませんでしたがやっぱり熱心な仏教徒であるチベット人はここまで来てたようですね。(でも落書きすんな!)

さてそこから車で2時間近く走った所にある漢の時代の万里の長城に行ってみました。
約2000年ほど前に作られたものらしいが見てびっくりした。
一般的に知られてる北京近辺の”石垣製”に比べてこっちは”土と藁製”。
すっげ~!2000年経ってもまだ残ってるよ!

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また近くには”狼煙”を上げる為の藁が積んであってそれも比較的きれいに残ってました。
そうそう忘れてならないのはその近くにあった怪しげな施設。ドライバーに聞いたら”ダオダンジーディ”との答え・・・

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え──────っ!!あれはミサイル基地かいな!!

ひょっとして大陸弾道ミサイルの基地なのか?

これが蛮族から国を守る”現代の長城だ~!”とでも言いたいのか?

やっぱりその蛮族はアメリカとか日本なのか?

しかしそんな場所が普通に知られてていいのか??

さらにそんなこと知ってこんなとこに書いてる俺は大丈夫なのか・・・??


・・・な~んて当然これぐらいは世界的にも既知の情報でしょうな。
そういう意味ではこのグーグルマップにこんなものが写ってますがこりゃすごい。

真ん中の黒い蛾みたいなものが写ってますけどこれは米軍のB2ステルス爆撃機です。
他にも周りを探したらSR71ブラックバードだとか、U2とか、なんだかんだと米軍機が写ってます。

しかし米軍にしてみたらこんなもんは国家機密のうちに入らんのだろうなあ・・・。


トルファン編につづく

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January 07, 2005

雲南民族村のダライラマ

今回の正月休みは、中国雲南省からラオスを通ってタイまで抜けて来ました。
ふとチベットに行こうかとも考えましたけど寒さに負けて南向きの軟弱旅行です。
ただ当初『タイに行ってくる』と言って日本を出たもんだから『津波は大丈夫か?』というメールを多数頂きました。
皆様ご心配かけました。


さてこんなルートをいきつつも今回の旅行で行くのを楽しみにしていた場所がありました。それは中国雲南省の昆明の郊外にある”雲南民族村”です。ここは雲南省に住む少数民族のテーマパークでそれぞれの家があり民族衣装を着たコンパニオン?がいて踊り等も見せてくれます。実際にここにいる彼らたちはそれぞれ本物の少数民族でしかもそこで生活しているらしいです。

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というわけで当然のことながら雲南省にもチベット族が住んでいるわけなのでこの中にも”チベット村”があるわけで敷地に入って一目散にそこを目指したところ遠くから容中さんの歌が流れてきました。

お~あった!あった!手前には大きなチョルテン(仏塔)にその向こうには大きなゴンパ(お寺)と住居が3軒。
そこでふと面白いものを見つけたのはチョルテンや大マニ車についた大きな左向きの矢印!どうやら回る方向を間違えないようにつけているようですがすごい違和感があります。

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そうこうしてるうちにマイクロホンで踊りのイベントを知らせる放送がかかった後に男女10人ほどの演奏と踊りが始まりなかなかいい雰囲気です。

SANY2935


さてそれも終わりゴンパの中に入ってみてその出来にびっくり!愛知県犬山市のリトルワールドとは比べものになりません。壁一面に描かれた壁画なんて見事なものです。その中には歴代のダライラマやらパンチェンラマやら・・・・・・ん?


ん─────────!これはどこかで見た人に似てる肖像画じゃないか!!!??

dharai13s

説明書きによると何々?13世ダライ(1878~1933)?????
普通、ダライラマ13世はヒゲがあるもんなんだけど、この13世の肖像画は若くてヒゲの無かった頃なのかな!?
そっか~若いときは誰ぞに似てたんやね!!納得!納得!

・・・なかなかやるじゃないか!ふふっ

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November 29, 2004

あじあ号ふたたび・・・?

先日4日間で大連と瀋陽に行ってきました。
今回の旅の第一目的は、瀋陽に昨年出来た博物館に行くことでした。

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瀋陽の町からタクシーで小一時間走った郊外に”沈阳蒸汽机車博物館(瀋陽蒸汽機車博物館)”があります。
ここには、中国の大陸の100年ほどの歴史を文字通り走り抜けて来た世界各国製の機関車が展示されています。

そしてそこの目玉がこのブルーの車体の勝利7型(日本名:パシナ型)機関車です。これは日本統治の時代である1934年川崎重工製で作られて以来、大連~長春(旧、新京)を走っていた特急”あじあ号”を牽引していました。

そしてその頃に構想のあった、下関から海底トンネルを通って朝鮮半島、そして北京まで走る“弾丸列車計画”もこのあじあ号がモデルになっています。そして戦争が終わり日本国内に高速列車が必要だと言うことで生まれた新幹線もこの“弾丸列車計画”が元になっていると言われています。

つまりこのパシナは今の新幹線のおじいちゃんということですね。

その新幹線が来年10月から台湾を走る予定です。
車両は今走ってる700系(かものはしみたいなやつ)のマイナーチェンジ版

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それに追いつけ追い越せで4年後の北京オリンピックに向けて中国も、北京~上海の高速鉄道を建設すべく各国と交渉中であり、日本の新幹線もその中に入っています。(日本のリニアモーターカーもそのうちに入ってるとか?)
しかし、新幹線の中国でのライセンス生産等その条件は最悪らしくJRも腰が引けてたようですがそれでもつきあいで入札しているようです。

”あじあ号ふたたび・・・”とは思いながらもなるべくなら実現して欲しくないなあ。

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October 25, 2004

重慶で暴動

最近めっきりチベットネタが無いんで中国のネタを書きます。

先週、先日のサッカーでの酷いブーイングで有名になってしまった重慶で暴動があったそうです。

jukei.jpg
霧の重慶

詳細は記事を読んでもらえばわかると思いますけどなんともおまぬけな原因でありました。

ただ個人的にはそんな重慶でも憎めないんですよね。というのも5~6年前に名古屋からの直行便で重慶の空港に着いたものの両替は出来ない、言葉も当然出来なくて途方に暮れているところを重慶の人に助けてもらったからです。
その時は困ってる私を街中まで車に乗せてくれた上に両替出来るホテルに行った後にさらに安宿まで探してもらいました。だから重慶にはむしろ愛着を感じています。

先日TVでもやっていましたが、中国には沿岸部と内陸部では無茶苦茶収入の格差があります。
とんでもない田舎なら貧乏なことはすでにあきらめているのでしょうが、内陸部の都市は中途半端に収入の格差を感じて政府に対して不満を感じることも多いのでしょう。
先日のサッカーの事件はそんな不満のはけ口になってしまったんじゃないのでしょうか?

さて、右肩上がりで一見いいように見える中国も収入の格差以外にも、い─────────っぱい問題を抱えてます。
環境問題、少子化問題、民族問題、不良債権・・・と。

鳴り物入りでオープンした上海サーキットも来年のF1まで大きなイベントが無くてすでに借金だらけで不良物件化したらしいし、ユニバーサルスタジオも計画中止になりました。

これからの中国はどっちに向かって行くのか?

な~んて今の日本も人のこと言ってられん状態ですわな。ふむ。

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October 13, 2004

”韃靼そば”ってチベット産?

うちの母親から『最近流行の”韃靼そば”ってチベット産じゃないの?』と聞かれて、何だそりゃ?

ググってみたら”韃靼蕎麦は中国の雲南省、四川省、チベットやネパールなどの高地で自生栽培されている蕎麦です。”とあったけどやっぱり何だそりゃ?

そもそもチベットやネパールどころか中国でも蕎麦は食わんだろ?と思いながら調べを進めていたら韃靼=タタール(モンゴル系の民族)という意味で・・・って雲南も四川もチベットもモンゴルからえらい遠いやないか!

結論としては、どうやら中国の雲南省から四川省にかけて住んでいる”彝(イ)族”が韃靼そばを栽培、主食として食べてるらしいんだけど、彝族と言えば大きな黒くて四角い帽子?をしていて少数民族マニアには、よだれダラダラの存在なのであるが私も雲南省の田舎町で一度会ったことがある。

yuzu.jpg
イ族の女性
ALA!中国から勝手に持って来ました。

最近、四川航空でこの彝族の客室乗務員を採用したらしいんだけど四川航空もなかなかやるじゃないか!やっぱり機内食には韃靼蕎麦が出るのだろうか?

ちなみにロイヤルネパール航空のチベットのチュバを着た客室乗務員も私は好きです。

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October 03, 2004

ぶっちょ

最近、UHA味覚糖の”ぷっちょ”のCMがとても気になります。

1つは”「いつになったら」篇”で茶色い袈裟を着た坊さんの像の列にガクトが並んでいていつまで経ってもぷっちょが買えないというやつで、もう1つは”「手が離せませんの」篇”で同様にガクトさんが前の坊さんの携帯電話に持ってあげてるというやつです。

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実はあの坊さんの像の列と同じようなのを以前ミャンマーで見たことがあります。ミャンマー第2の都市マンダレーに近い町でモンユワというところにボディダタウンという丘があって、そこにはビルを枕にした巨大な涅槃仏があります。
そして、その近くにたぶん1KMぐらいに渡ってあの坊さん像が並んでいるのです。(さすがにあそこまで詰まってませんけど)

というわけでまさかガクトさんがCM撮影のためにミャンマーに渡ったとは考えられないので、どこで撮ったかCMを検証してみましょう。
まず背景の塀を見ると瓦の屋根がついていてあまりミャンマーっぽく無くどうも日本のようです。また足元の砂や草を見るとどうも作り物くさいのでおそらくスタジオなんでしょうね。
ただ、塀の向こうの木に注目してみるとなんと風でゆれているではないですか?ひょっとして外なのか?あれが日本にあるのか??色々検索してみましたけど梨の礫。あれが日本にあるなら行ってみたいゾ!どこだろ??

ちなみに関東の方ではこのCMはやってらしいのでUHA味覚糖のページで要チェック。

この手のネタに詳しい超天然ビルマ仏SHOWにこのCMに近い坊さん達が載っていました。
並んだ坊さん

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July 16, 2004

おいさ!

今年も博多祇園山笠が無事終わりました。
博多に住んで山笠を舁いていたのはもう10年ほど前になります。

勘違いされやすいのですが山笠には京都祇園祭りや岸和田だんじりのような車輪はありません。約1トンある神輿のようなものを通常26人で担ぎながら、走りながら、交代しながらのタイムトライアルです。おかげで私も最初の年は肩が腫上がりました。

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西流の櫛田入り(NHK BS-2)

毎年7月9日から7月14日まで毎日練習して7月15日早朝のフィナーレである追い山笠(おいやま)になるわけですが、これがまた毎日山笠舁きが終わると直会(なおらい)という飲み会になります。
もちろん半分徹夜状態で迎える追い山笠の終わった朝にも直会があって、当然その後には”徹夜の酔っ払い”になります。そんな興奮冷めやらぬ状態で会社に行ったら全く仕事にならなかったのが思い出でしょうか。(笑)

Cap0004
恵比須流の廻り止(NHK BS-2)

今はもう、”お尻丸出しのしめ込み”(ふんどし)も”お腹のさらし”も”はち巻き”も”地下足袋&きゃはん”そして”舁き縄”も身に着けることは無いと思いますが、”法被”だけはこの季節に部屋に飾るようにしています。

また2005年度の山笠が始まりました。来年は久しぶりに生で見に行きたいなあ~!!

おいさ!!

山笠関係記事(西日本新聞)

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July 11, 2004

軍艦島

7月3日に長崎の軍艦島(端島)に観光船が就航したという記事を見て5年近く前のことを思い出した。
旅先で知り合った友人がその昔、軍艦島に行った時に友人達と『2000年は軍艦島で迎えよう!』と約束がありそれを果たしに行くのに誘われたのである。

軍艦島のちょうど向かいの小さな港から釣り船をチャーターして島に渡った。
島は文字通り廃墟で病院跡には大量のカルテやレントゲン写真が散乱しており当時の炭鉱での過酷な労働がかいま見られたし、住宅地では壊れたTVや山ねずみロッキーチャックの絵本なんかも落ちていたりして捨てられたのがそれほど昔じゃないことが伺われた。

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廃墟の団地

当時も表向き上陸できないことになっていたが、今でも上陸できるかは定かではない。
また2000年を迎えた時も前回約束した友人達は誰も来なかった。
よって次の200x年にどれだけのメンバが集まるのか?またちゃんと上陸できるのか?時々そんな事を思いながらもその日が近づくのが楽しみである。

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団地の屋上の神社跡

ショットバー軍艦島(友人が経営してます)
やまさ海運株式会社

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