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November 03, 2013

チベット・アムド旅行2013年夏(草原)

タシを通して連絡していた通りに遊牧民のお父さんが店までピックアップトラックで迎えに来てくれた。
車に乗ってそのまま草原に行くのかと思っていたら、まずは自宅に行ってマットレスと毛布を積み込んだ。どうやら私が泊まるために用意をしてくれたらしい。

ここでなぜ遊牧民の家族なのに町に家があるかというと、現在は家族のうちお父さんは遊牧民を引退して町で生活しており、お母さんは遊牧生活と町で交互に生活している。
つまり基本的に遊牧生活は、次男夫婦と三男に任されている。ただ後でわかった事だが面白いのは、三男は一度町の学校に通っていたのに卒業して、また遊牧生活に戻ったことである。結局町で生活するより草原の方が生活しやすいという事なのだろう。

タンコルの近くを流れる大きな河にかかる橋を渡るとそこはもう大草原。遊牧民の世界である。お父さんの話によるとテントまで20kmほどなのに1時間以上かかるというが、その理由はすぐにわかった。

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一旦草原に入ってしまえば、道は他の車やバイクがつけた轍だけのガタゴト道。それだけならまだしも、小川を渡ろうとしても崖の高さが1m以上あって、そのまま車で渡れないので渡れる場所を探すことになる。お父さんにしてみたらちょくちょく行ってる草原だから渡れる場所はわかってるだろうと思ったが、地形はすぐに変わるし、渡れる場所は何台も車が通ると崩れてしまって今まで渡れた場所がすぐに渡れなくなってしまう。

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それでもなんとか渡れそうな場所を探してエイヤと渡って行く。こんな所でスタックしたら誰も助けてくれないから慎重にそして大胆に小川を渡る。そうして広い草原を走っているとやがて遠くに白いテントが見えてきた。

テントに到着すると、お母さん、次男の嫁(当初三男の嫁と思っていた)、三男、そして3歳ぐらいの小さな女の子が迎えてくれた。

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遊牧民の犬は怖くて有名だけどここの犬はおとなしくて良かった。

さっそくウェルカムティ。バター茶かと思ったら普通のタン茶(プーアル茶のようなお茶)にミルクを入れたミルクティ。町から持って来たお菓子もどんどん開ける。
しばらく、まったりとした時間を過ごすと、「さてやるか!」という感じで大きなテントから少し離れたところに小さなテントを建て始めた。これはどうやら私のために専用の離れの家を建ててくれるらしい。早速手伝って建て始めるが、ペグを打つハンマーが無いので手で地面に差し込むしかなかったのだが、鉄製でバリを取ってないペグはそのまま押しこむと手が痛い。それでも慣れているのか袖を緩衝材に使って押し込んですぐに完成。中に持ってきたマットレスと毛布を入れて我が家は完成した。

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晩ご飯の準備中。

日も暮れてきたので家族はみんな忙しく働き始めた。男性たちはヤクの群れを集めるためにバイクや馬に乗って草原に出ていき、女性たちは晩御飯の準備。そして私の仕事は子守り役・・・。
晩ご飯は肉と野菜を炒めたものにてっきりツァンパ(日本の麦こがし)が出てくると思ったら白米だったのは日本人だということで気を使ってくれたのかもしれない。
たださっき生肉を包丁でミンチにしていた(これが大変な作業)のを見逃さなかったので翌日はモモが出てくることを期待した。

その後、家族団らんに紛れ込ませてもらって色んな話をする。(というか色々聞かれた)基本的にお父さん以外はまともな中国が話せないので会話出来ないのだが、それでも四川訛りが強くてお互いコミュニケーションギャップに苦労した。弟くんは町の学校を出てるので会話出来るかと思っていたらさっぱり何を言ってるのかわからないので、アムド語をしゃぺっているのかと思い困っていたら、最後には携帯に中国語で文字を打って見せてきた。
おそらく町の学校では強烈な四川訛りで勉強して普通語は使えないのだろうけどそれでも携帯で漢字を打てるというのは、どうやってるのか不思議である。
しかし中国政府はやたらチベット人に対して中国語教育に熱心なくせに相変わらずの片手落ち。どうせ四川省の一部でしか通用しない四川訛りの中国語教育ならチベット語で教えても一緒じゃないのか?

疲れていたので、さて先に寝るかと挨拶して席を立とうとしたらお父さんに怒られた。『寝る時はみんな一緒に寝るんだ!』なるほど家長の言うとおり。それがここのしきたりならいくらでも従います!
やがて夜もふけ家長の判断でみんな寝ることになったので自分のテントに戻る。空を見上げると満天の星空で星がむちゃくちゃきれいだった!

翌朝は6時頃から、男性はヤクを草原に送り出し、女性はディ(ヤクの雌)の乳搾り。そして私は、その間はまたもや子守役・・・。

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一番大変な肉体労働かも?

乳搾りは当然機械は使わず手を使うのでけっこう大変そう。その乳を集めて少し温めてから、電動の遠心分離機にかける。一昔前ならドンモで撹拌して分離させていたはずだが、数年ほど前から太陽光発電が普及して遊牧民も生活が一変した。『ドンモは使わないの?』と聞くと『ドンモはもうだいぶ前に捨てた!』という返事。
少し寂しい気もするが、こういう事で遊牧民という文化が保たれるなら歓迎するし、遊牧民の生活に憧れる部分もある。

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遠心分離器でバターとチーズ作り。

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今や太陽光パネルは生活必需品。

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でかいトラック用のバッテリーが2台。

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さすがにTVの電波は届かないけどDVDは見られます。

早速、お腹を壊すかな?と少しドキドキしながら搾りたての生のミルクを頂く。普段日本で飲む牛乳に比べてバターっぽい匂いと味で無茶苦茶うまい!バターもこってりした獣臭があってこれまたうまい。
分離させたもう一方を原料としたチュラという乾燥チーズの乾燥する前の柔らかい状態のものも食べてみたが、これはさすがに美味しくない。味がないオカラという感じでモソモソした感じだけど、味をつけたらけっこう美味しく食べられるかもしれない。

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鞍をつけない裸馬に乗れるのはうらやましい。

遅い朝ごはんは、茹でたヤク牛の肉の塊。骨付きをナイフで削ぎながら食うのだがこれだけでかい肉を食う機会は日本では少ないと思うけどちゃんと肉の味がしてうまい!

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にく。

飯を食ったらテント内で家族揃ってゴロゴロ。天気もいいし、風が通って気持ち良い。夏場だけなら遊牧民の生活は非常にあこがれる。

時間もあることだし、弟くんのバイクの後ろに乗ってヤクの見回りに行くことにした。
ヤクの群れは周りに住んでる遊牧民のも含めてあちこちにいるが、どれが自分の家のヤクかすぐわかると言う。また群れが交じることはなく、ちゃんと分かれているらしい。そんなヤクの群れの近くでバイクを降りるとなぜかヤクの群れに囲まれた。普段ならヤクに近づくと逃げられて、なかなかまともな写真を撮らせてもらえないんだけど、ここは特別で外国人が珍しいのか?後から後からどんどん集まって来て少し怖い。こちらから何かしない限りは何もしてこないけどあの巨体にぶつかられたら一溜りもないだろう。

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こんなにヤクに見つめられたのは初めて。

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後から後からどんどん集まってくる。

テントに戻ってしばらくしたら早い晩ご飯を出してくれた。ヤクのモモ(チベット餃子)である。待ってました!!これがとにかく肉汁たっぷりで無茶苦茶うまい。チベットでも町中ではこれだけのモモはなかなか食べられない。もうお腹いっぱい・・・と行きたかったがこの時は高山病で体調悪くて食欲がいまいちだった。日本に持って帰れるものなら持って帰りたかった。

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モモうまかったっす。

さて、そろそろ帰る時間が近くなって、我が家も撤去。自分の荷物の他にマットレス、毛布、そしてゴミのいっぱい入った袋を積み込んだ。確かに町から持ってきたお菓子とかペットボトルとかのプラスチックゴミはどうするのか気にはなっていたが、ちゃんと大きなゴミ袋に入れて町まで持って帰る事に感心した。確かにビニール袋なんかをヤクが食べると危ないもんね。ちゃんと最近は環境の事も考えて遊牧民やってるんだなあ。

こうして、初の遊牧民体験は終わった。
以前は、政府の定住化政策でカムやアムドの遊牧民はほとんどいなくなってしまってるんじゃないかと思っていたが、実際に行ってみると、自分がいたテントからぐるっと見渡すと10軒ぐらいのテントと大量のヤクの群れが見えていて、まだまだこの地域には遊牧民が根付いているのを感じた。
弟くんのように町の学校を出てから町で働かず、遊牧生活にUターン。当然中にはそのまま町に出たままの人もたくさんいるだろうけど、文化が継承されている事がわかって安心した。

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ご近所さん。黒いのは昔からあるヤクの毛で編んだテント。

タシにこの話をしたら『遊牧民がいなくなったらチベット人はみんなバター茶が飲めなくなるよ!』と言われて納得。確かに日本と違って牧場で牛を育てているわけじゃないので、バターの消費が多いチベットでは足りなくなってしまうだろう。

中国政府は表向きは、遊牧民は生産性がないとか、文化的では無いという理由で、遊牧民を減らすために家畜を買取ったり、家を提供したりして定住化を勧めている。ところが実際には、チベット人を政府の管理下(監視下?)に置きたいとか、納税させる為に定住化をさせようという魂胆がある。

実際に政府の甘言に乗せられて、遊牧生活を辞めて町で生活を始めたが仕事がうまく行かずに生活に困って犯罪に手を染める者もいて、新たな社会問題になっているという話を聞いた事がある。

当然ながら遊牧民が自分の意志で遊牧民を辞めて町の生活をしたいと言うなら止める理由は何もない。しかし、政府が強制したり、騙し討のような形で町で定住生活をさせるというのは、非常に問題がある。

ただ中国政府の政策が無くても今後遊牧民が減って行く事に間違いはない。それは出稼ぎだったり、日本の農業離れ同様に”豊かに見える”町の生活に憧れる若者は多いからだ。
だったら、ただでさえ地方からの出稼ぎで都会の人口が増えて問題になってるんだから、遊牧民も含めて自給自足が出来る人達を保護する政策を行えば少しは問題解消になるんじゃないかと思う。

もうちょい続く・・・かも。

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