February 08, 2020

中国留学(準備3)コロナウィルス

「非典(SARS)禍」再び。よりによってこんな時に来たか。

留学予定先の大学で先生をしてる知り合いにWeChatで状況を聞いてみた。

「自分は冬休みで故郷にいるが外出が制限されている。町中もバスが全部止まってて、外出が制限されているから人通りは少ない。大学は例年は2/末に始業するけど今年は遅らせるだろう」という答え。

あかんやん。このままやったら3月に行かれへんやん。ここまで大変な思いをして書類を揃えてきたのにさらにまだ試練に与えてくるんか?

おそらく大学も役所もまともに機能してないだろうから、自分の留学申請も止まってる可能性が高い。

いつ行ける?4月?5月?2003年のSARSの時に終息宣言したのは7月だった。

とりあえず今は待つしか無い。

 

※写真は、四川省成都の友人が送ってくれた町の様子。普段は多くの人が行き交う町がほとんどの店が閉まっていてひっそりとしており、看板には「あなたと他人の健康のために店ではマスクをしましょう」と書いてある。

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February 04, 2020

中国留学(準備2)犯罪経歴証明書

犯罪経歴証明書の特別発給をお願いするために再度外務省に電話。

懸念していたのは、証明書が必要になる法令のコピー。それを学校に要求したら出てきたのは、入学申請の必要書類リストの中の”その他学校が要求する書類”の記載だけだった。

「こんなの通用する訳ないやん」

そこで外務省の担当者と相談した結果、「中国の学校は基本的に国公立だろうからホームページ等でその記載があれば国の要求と解釈して発行します」ということで以下の書類をメールで送るということになった。

1.留学生申請書

2.証明書の提出要求があったことを示す文書(レター、和訳付き)

3.国公立の大学であることが分かる資料(ホームページの記載、和訳付き)

4.取次依頼書(申請書)

あと、早期発給依頼書も作成を勧められた。通常特別発給には1-2ケ月かかるので時間が無いなら発行を早めてもらうための嘆願書を付けた方がいいということだった。

急いで全て作成、日本語訳も知り合いの中国人にチェックしてもらって問題なかったので提出。

無理かなと思いながらも年末までの1週間で出して欲しいと依頼。そしてちょうど仕事納めの日に警察庁から電話があり、特別発給が出たので申請に来てもいいという連絡だった。

スゲー、1-2ヶ月が1週間になった。やるやん外務省。

というわけで仕事を休んで大阪城近くの警察庁で早速犯罪経歴証明書の申請。

ロビーでしばらく待つと担当官がやってきて、共に階上の小部屋に入った。

目の前の機械に指を一本のせてスキャンしてみる。「冬で乾燥してるんで反応悪いですね。そこのクリームを指に塗ってください」

そしてすべての全ての指を一本ずつ係官に押さえつけられながら指紋を念入りに取られた。なんかこれは嫌だなあ。

これを警察の指紋データベースと突き合わせるらしいけどなんだか複雑な気分。少なくともこれで自分の指紋はデータベースに載ってしまった。これで何かあったらすぐにばれちゃうわけね。いや別に何か悪いことをする訳じゃないからいいけど、でもなんか複雑な気分。

さてこれであとは証明書が発行されたら即学校に送って、あちらからの入学許可証(JW202)をもらって留学ビザ申請するだけ。

・・・と思ったのもつかの間、仲介してくれてる知り合いから、事務局とのやり取りのメッセージが送られてきた。

それによると、「2020年1月1日に規定が変わって留学の許可は教育庁(日本の文科省みたいなもん?)の承認が必要になりました。よって3/末の入学になります」という内容だった。

話がややこしいので知り合いと電話で直接聞いたところ、「3/初に1ヶ月の観光ビザ?で来て、JW202が発行されたら日本に持って帰って1年間の留学ビザを取って3/末から授業を受けるかも」といったようなややこしい内容だった。

えー、3/初から授業受けようと思ってたのに、それに飛行機代もかかるやん。

ほんとめげるわ。こういう中国で方針がコロコロ変わるのは慣れてるけど、今年に限ってなんでこうなる?

それでも証明書も出たし、長い時間がかかってようやく申請が終わった!

 

・・・と思ったのも束の間、今度はコロナウィルスという「ボスキャラ」が現れた。

ここまで頑張って整えてきたのに、これからどうなるの俺???

 

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つづく

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中国留学(準備1)申請手続き

半年間ほど中国語のスキルアップとチベット語(アムド語)の習得のために中国という国に留学することにした。

きっかけは2019年9月に何年も会ってなかった20年来の友人に会って話をしていた時に「風来坊さんは昔留学したいって言ってましたよね?」という言葉。

"そうだ、俺は留学したかったんだ!”ここ15年ほどプライベートで色々あったり、専門外の転職数回とかあって無理だと諦めて、忘れていた。

やっぱり行きたい!行けるのか?と思いながら考えてみた。”両親はまだ元気”、”仕事は難しい資格を取ったしスキルも身についてるから転職もそれほど苦労しないはず!”、”家は?まあ半年だけだし家賃は仕方ない”、”年齢は50代半ばだけど定年後に行く事は考えられない”

「そうだ今しかない!!」ということで早速、目的の中国の某大学の事をネットで調べて、現在留学中の知り合いに色々WeChatで聞いてみた。

すると、1月までに申請で3月から半年間の寮費、授業料合わせても日本円で20-30万円ぐらいという回答。行けそうだと言う旨を伝えるとすぐに申請書類(3種類)を事務局からもらって送ってくれた。

合わせて、仕事の方は上司に「留学したいから会社辞めます」と告げると「半年だけだったら休職扱いにしてくれと」頼まれ、まあデメリットも無いので快く承諾。

急いで申請書類を作成して送付。あとは健康診断書類、無犯罪証明書(犯罪経歴証明書)、卒業証明書、パスポートのコピーが必要になる。

健康診断は、中国語の書類が必要になるので対応してくれる病院は限られ、大阪では豊中市市立病院で対応してくれる。但し25,000円ほどかかって高い。仕方なく健康診断を受けて、書類がもらえるまで1週間ほど待つことになった。

一方、無犯罪証明書は、最初警察庁に行ったら「中国留学の場合は外務省の特別発給許可が必要です」という話。仕方なしに外務省に電話してみたら、発給には以下の書類が必要だという。

①留学申請書類のコピー

②学校からの書類が必要だというレターとその和訳(外務省でも翻訳できるがその方が早い)

③書類が必要な根拠となる関係法令の写しと和訳。

あと許可が出るまで最長2ケ月はかかるらしい。どうしようか困っていると「無犯罪証明書は出すのが困難だという旨を学校側に伝えたら必要なくなるケースがほとんどですよ」との話だった。


それをそのまま事務局に伝えてもらったら、案の定”無犯罪証明書は不要です”との返事・・・・。

・・・と思ったのもつかの間、健康診断の結果が出た頃に連絡があった。”無犯罪証明書はやっぱり必要です”という連絡、そして名前入りのレターも添付されてきた。

過去の留学経験者何人かに聞いても誰も出してない。

書類が審査に入ったところで昨今の香港とか米国の影響があって厳しい対応をされたのか?ただ法令の写しとかあるわけ無いやろうし時間も残り少ないやん。

困った。今は12月中なのに1月に間に合うのか???

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つづく

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November 03, 2013

チベット・アムド旅行2013年夏(草原)

タシを通して連絡していた通りに遊牧民のお父さんが店までピックアップトラックで迎えに来てくれた。
車に乗ってそのまま草原に行くのかと思っていたら、まずは自宅に行ってマットレスと毛布を積み込んだ。どうやら私が泊まるために用意をしてくれたらしい。

ここでなぜ遊牧民の家族なのに町に家があるかというと、現在は家族のうちお父さんは遊牧民を引退して町で生活しており、お母さんは遊牧生活と町で交互に生活している。
つまり基本的に遊牧生活は、次男夫婦と三男に任されている。ただ後でわかった事だが面白いのは、三男は一度町の学校に通っていたのに卒業して、また遊牧生活に戻ったことである。結局町で生活するより草原の方が生活しやすいという事なのだろう。

タンコルの近くを流れる大きな河にかかる橋を渡るとそこはもう大草原。遊牧民の世界である。お父さんの話によるとテントまで20kmほどなのに1時間以上かかるというが、その理由はすぐにわかった。

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一旦草原に入ってしまえば、道は他の車やバイクがつけた轍だけのガタゴト道。それだけならまだしも、小川を渡ろうとしても崖の高さが1m以上あって、そのまま車で渡れないので渡れる場所を探すことになる。お父さんにしてみたらちょくちょく行ってる草原だから渡れる場所はわかってるだろうと思ったが、地形はすぐに変わるし、渡れる場所は何台も車が通ると崩れてしまって今まで渡れた場所がすぐに渡れなくなってしまう。

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それでもなんとか渡れそうな場所を探してエイヤと渡って行く。こんな所でスタックしたら誰も助けてくれないから慎重にそして大胆に小川を渡る。そうして広い草原を走っているとやがて遠くに白いテントが見えてきた。

テントに到着すると、お母さん、次男の嫁(当初三男の嫁と思っていた)、三男、そして3歳ぐらいの小さな女の子が迎えてくれた。

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遊牧民の犬は怖くて有名だけどここの犬はおとなしくて良かった。

さっそくウェルカムティ。バター茶かと思ったら普通のタン茶(プーアル茶のようなお茶)にミルクを入れたミルクティ。町から持って来たお菓子もどんどん開ける。
しばらく、まったりとした時間を過ごすと、「さてやるか!」という感じで大きなテントから少し離れたところに小さなテントを建て始めた。これはどうやら私のために専用の離れの家を建ててくれるらしい。早速手伝って建て始めるが、ペグを打つハンマーが無いので手で地面に差し込むしかなかったのだが、鉄製でバリを取ってないペグはそのまま押しこむと手が痛い。それでも慣れているのか袖を緩衝材に使って押し込んですぐに完成。中に持ってきたマットレスと毛布を入れて我が家は完成した。

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晩ご飯の準備中。

日も暮れてきたので家族はみんな忙しく働き始めた。男性たちはヤクの群れを集めるためにバイクや馬に乗って草原に出ていき、女性たちは晩御飯の準備。そして私の仕事は子守り役・・・。
晩ご飯は肉と野菜を炒めたものにてっきりツァンパ(日本の麦こがし)が出てくると思ったら白米だったのは日本人だということで気を使ってくれたのかもしれない。
たださっき生肉を包丁でミンチにしていた(これが大変な作業)のを見逃さなかったので翌日はモモが出てくることを期待した。

その後、家族団らんに紛れ込ませてもらって色んな話をする。(というか色々聞かれた)基本的にお父さん以外はまともな中国が話せないので会話出来ないのだが、それでも四川訛りが強くてお互いコミュニケーションギャップに苦労した。弟くんは町の学校を出てるので会話出来るかと思っていたらさっぱり何を言ってるのかわからないので、アムド語をしゃぺっているのかと思い困っていたら、最後には携帯に中国語で文字を打って見せてきた。
おそらく町の学校では強烈な四川訛りで勉強して普通語は使えないのだろうけどそれでも携帯で漢字を打てるというのは、どうやってるのか不思議である。
しかし中国政府はやたらチベット人に対して中国語教育に熱心なくせに相変わらずの片手落ち。どうせ四川省の一部でしか通用しない四川訛りの中国語教育ならチベット語で教えても一緒じゃないのか?

疲れていたので、さて先に寝るかと挨拶して席を立とうとしたらお父さんに怒られた。『寝る時はみんな一緒に寝るんだ!』なるほど家長の言うとおり。それがここのしきたりならいくらでも従います!
やがて夜もふけ家長の判断でみんな寝ることになったので自分のテントに戻る。空を見上げると満天の星空で星がむちゃくちゃきれいだった!

翌朝は6時頃から、男性はヤクを草原に送り出し、女性はディ(ヤクの雌)の乳搾り。そして私は、その間はまたもや子守役・・・。

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一番大変な肉体労働かも?

乳搾りは当然機械は使わず手を使うのでけっこう大変そう。その乳を集めて少し温めてから、電動の遠心分離機にかける。一昔前ならドンモで撹拌して分離させていたはずだが、数年ほど前から太陽光発電が普及して遊牧民も生活が一変した。『ドンモは使わないの?』と聞くと『ドンモはもうだいぶ前に捨てた!』という返事。
少し寂しい気もするが、こういう事で遊牧民という文化が保たれるなら歓迎するし、遊牧民の生活に憧れる部分もある。

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遠心分離器でバターとチーズ作り。

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今や太陽光パネルは生活必需品。

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でかいトラック用のバッテリーが2台。

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さすがにTVの電波は届かないけどDVDは見られます。

早速、お腹を壊すかな?と少しドキドキしながら搾りたての生のミルクを頂く。普段日本で飲む牛乳に比べてバターっぽい匂いと味で無茶苦茶うまい!バターもこってりした獣臭があってこれまたうまい。
分離させたもう一方を原料としたチュラという乾燥チーズの乾燥する前の柔らかい状態のものも食べてみたが、これはさすがに美味しくない。味がないオカラという感じでモソモソした感じだけど、味をつけたらけっこう美味しく食べられるかもしれない。

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鞍をつけない裸馬に乗れるのはうらやましい。

遅い朝ごはんは、茹でたヤク牛の肉の塊。骨付きをナイフで削ぎながら食うのだがこれだけでかい肉を食う機会は日本では少ないと思うけどちゃんと肉の味がしてうまい!

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にく。

飯を食ったらテント内で家族揃ってゴロゴロ。天気もいいし、風が通って気持ち良い。夏場だけなら遊牧民の生活は非常にあこがれる。

時間もあることだし、弟くんのバイクの後ろに乗ってヤクの見回りに行くことにした。
ヤクの群れは周りに住んでる遊牧民のも含めてあちこちにいるが、どれが自分の家のヤクかすぐわかると言う。また群れが交じることはなく、ちゃんと分かれているらしい。そんなヤクの群れの近くでバイクを降りるとなぜかヤクの群れに囲まれた。普段ならヤクに近づくと逃げられて、なかなかまともな写真を撮らせてもらえないんだけど、ここは特別で外国人が珍しいのか?後から後からどんどん集まって来て少し怖い。こちらから何かしない限りは何もしてこないけどあの巨体にぶつかられたら一溜りもないだろう。

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こんなにヤクに見つめられたのは初めて。

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後から後からどんどん集まってくる。

テントに戻ってしばらくしたら早い晩ご飯を出してくれた。ヤクのモモ(チベット餃子)である。待ってました!!これがとにかく肉汁たっぷりで無茶苦茶うまい。チベットでも町中ではこれだけのモモはなかなか食べられない。もうお腹いっぱい・・・と行きたかったがこの時は高山病で体調悪くて食欲がいまいちだった。日本に持って帰れるものなら持って帰りたかった。

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モモうまかったっす。

さて、そろそろ帰る時間が近くなって、我が家も撤去。自分の荷物の他にマットレス、毛布、そしてゴミのいっぱい入った袋を積み込んだ。確かに町から持ってきたお菓子とかペットボトルとかのプラスチックゴミはどうするのか気にはなっていたが、ちゃんと大きなゴミ袋に入れて町まで持って帰る事に感心した。確かにビニール袋なんかをヤクが食べると危ないもんね。ちゃんと最近は環境の事も考えて遊牧民やってるんだなあ。

こうして、初の遊牧民体験は終わった。
以前は、政府の定住化政策でカムやアムドの遊牧民はほとんどいなくなってしまってるんじゃないかと思っていたが、実際に行ってみると、自分がいたテントからぐるっと見渡すと10軒ぐらいのテントと大量のヤクの群れが見えていて、まだまだこの地域には遊牧民が根付いているのを感じた。
弟くんのように町の学校を出てから町で働かず、遊牧生活にUターン。当然中にはそのまま町に出たままの人もたくさんいるだろうけど、文化が継承されている事がわかって安心した。

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ご近所さん。黒いのは昔からあるヤクの毛で編んだテント。

タシにこの話をしたら『遊牧民がいなくなったらチベット人はみんなバター茶が飲めなくなるよ!』と言われて納得。確かに日本と違って牧場で牛を育てているわけじゃないので、バターの消費が多いチベットでは足りなくなってしまうだろう。

中国政府は表向きは、遊牧民は生産性がないとか、文化的では無いという理由で、遊牧民を減らすために家畜を買取ったり、家を提供したりして定住化を勧めている。ところが実際には、チベット人を政府の管理下(監視下?)に置きたいとか、納税させる為に定住化をさせようという魂胆がある。

実際に政府の甘言に乗せられて、遊牧生活を辞めて町で生活を始めたが仕事がうまく行かずに生活に困って犯罪に手を染める者もいて、新たな社会問題になっているという話を聞いた事がある。

当然ながら遊牧民が自分の意志で遊牧民を辞めて町の生活をしたいと言うなら止める理由は何もない。しかし、政府が強制したり、騙し討のような形で町で定住生活をさせるというのは、非常に問題がある。

ただ中国政府の政策が無くても今後遊牧民が減って行く事に間違いはない。それは出稼ぎだったり、日本の農業離れ同様に”豊かに見える”町の生活に憧れる若者は多いからだ。
だったら、ただでさえ地方からの出稼ぎで都会の人口が増えて問題になってるんだから、遊牧民も含めて自給自足が出来る人達を保護する政策を行えば少しは問題解消になるんじゃないかと思う。

もうちょい続く・・・かも。

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September 14, 2013

チベット・アムド旅行2013年夏(タンコル)

ゾルゲでガワ(アバ)行きのバスに乗って2時間弱走るとやがて大きな馬のモニュメントとガソリンスタンドが見えてきた。他には小さなお店だけポツンとあるだけの分岐点。そこでバスを降りた。

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ここからタンコルの町の中心まで約3km。だがバスを降りたのは自分1人だけでここには誰もいない、タクシーももちろんいないので仕方ないと町まで歩き始めた。

今回、なぜチベットのこんな片田舎のタンコルという町に行こうとしたか?その目的は、日本に住んでいるチベット人の知り合いが遊牧民をしていて宿泊させてもらえる事になっていたからだ。
今までに遊牧民のテントに遊びに行ったことはあったが、泊まって1日の生活を体験したいと以前から思っていたのと、最近の中国政府による遊牧民の定住化政策で遊牧民が減っているという話を聞いていたのでこのチャンスを逃すと後は無いかもしれないと思っていたからである。

そしてまず目指すのはその友人であるタシ(仮名)のお店だった。彼がその仲介をしてくれる事になっていたので彼のお店に行かなければ遊牧民のテントにはたどりつけないのである。

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分岐点からしばらく行くと左手に大きな川、右手には同じような新築の白い家がたくさん建っていたが、どれもまだ人が住んでいない様子だった。「これは政府主導の遊牧民の定住化政策のための家だろうな」と思いながら道を進んでいると、後ろから来た車のドライバーに声をかけられた。

『どこまで行くんだ?』
 
タシのお店の名前を告げると『知り合いだから乗せて行ってやるよ!』という申し出だったが、交通機関の乏しいチベットではよくある事だし、町へ向かう一本道だったので断る理由も無く、お言葉に甘えることにして車に乗り込んだ。
 
しばらく走るとやがてタンコルの町が見えてきてお店に到着・・・と思ったらシャッターが閉まっているので隣の店主に聞くとまだ来ていないらしい。そこでドライバーが電話をかけて聞いてくれた所、どうやらまだ寝ていたらしく家まで送ってくれる事になった。これは非常にありがたい。歩いて来てたら途方に暮れていたところである。
 
家はすぐ裏手にあり車ですぐに着いた。平屋だがけっこう広そうな家の前にはチベットではよく見る赤いホンダのバイクが一台止まっている。
 
タシに早速話を聞くと、普段ならお店を開けている時間だけど、前日に100KMほど離れた町にバイクで行った帰りにバイクが壊れてしまって帰るのが遅くなったらしい。ではなぜそんな町まで行ったかと言うと現在、四川省アバ県内はすべて国際電話もインターネットも政府の規制で使えない状態にあるので海外と連絡を取るために隣の県まで行く必要があったのである。
 
この情報は事前にある程度は知っていた。ここ数年続いている中国政府への抗議行動によるチベット人の”焼身自殺”がアバ県に特に集中しているため、安易に写真やビデオを海外に流出させたくない中国政府が、海外とコミュニケーションを取らせないための規制である。そういえばゾルゲの町でもインターネットカフェを一軒も見なかった事に気がついた。

しかしそんな状況でもなぜかスマホの普及率はすごい。これは成都にいた時にも思ったけど、iPhone、GALAXY-S4、HTC ONE等最新機種をみんなが持っている。日本と中国の収入の差から言うと日本なら50-60万円ぐらいの価値があると思うけどみんな借金して買っているんだろうか?
 
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時間もあったので早速町を歩いてみたがゾルゲに比べたらのどかな感じはするものの、どの建物も新しくて看板のデザインも統一されている。どうやらここ数年で観光客の誘致のために一気に町を作り上げたようだった。ただゾルゲのような大きな町に比べたら、まだ人の割合はチベット人の方が多数派のように見える。

町のはずれまでやって来るとまた新しい住宅街があり、遠くに金色の屋根が乗ったお寺、ソクツァン・ゴンパが見えて来た。タンコルの町には特に見るものもなかったのでこのお寺ぐらいしか観光出来そうな所はないだろうなと思っていたら、後日その日がやってきた。
 
その日は、昼からタシのバイクに乗せてもらってこのソクツァン・ゴンパに連れて行ってもらった。
長い一本道を2人乗りのバイクでトコトコ走る。昔だったら馬だろうが最近のチベット人の足はもっぱらバイク中心。特徴は小さな絨毯がシートに乗せてあること。これって馬の鞍の感覚なんだろうなあ。

走っていると途中に検問所はあったが特に機能はしていなかったので、面倒くさい事にならないと一安心。しかしタシはお寺を通りすぎて少し離れた所にバイクを止めた。そして、お寺を見下ろすことの出来る丘を登り始めた。とりあえず遠くから眺めてからお寺に行くんだろうか?と思っていたらおもむろに話を始めた。

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『7月にこのお寺で焼身自殺があったので今は中に入らない方がいい。中に私服警官がいて外国人が行くと色々聞かれるから面倒だ!』

7月にアバで焼身自殺があった事は知っていたけど、まさかこのお寺での出来事だったとは知らなかった。後日調べてみたらこれを書いている9月中現在、120人目でチベット本土では最後の焼身自殺者である僧侶のクンチョク・ソナム(18歳)の事だった。

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チベットのニュースを発信しているブログ、チベットNOW@ルンタによると知り合い数人が、当局による不当逮捕で行方不明になっている事が原因の1つと考えられているらしい。また彼の自殺により周りの人達も連行され行方不明になっているようだが、結局こういう事によりまた負の連鎖が続くことに当局は気がつかないのだろうか?
 
確かにチベットの町は大きく、新しくなり、成都あたりから車に乗ってやってくる中国人観光客がお金を落としてくれて、チベット人にとっても生活は若干豊かになって来たように見える。一方、宗教、教育、環境等によるチベット人への締め付けは増々ひどくなる事から、苦しみぬいて行う抗議の焼身自殺は後を絶たない。
 
これまでにチベットでの焼身自殺に関してはインターネット上のニュースで写真や映像を見るぐらいしか無く、大変な事が起きている事はわかっているものの実感としてはあまり無かった。しかし実際に自分の目の前にあるのどかなお寺で1ケ月ほど前にそんな事があったという事実に直面してみると、悲しみとやるせなさだけしか無く、とにかく遠くから手を合わせて冥福を祈ることしか自分には出来なかった・・・。
 
チベットNOW@ルンタ

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August 31, 2013

チベット・アムド旅行2013年夏(成都~ゾルゲ)

早朝、成都の宿からタクシーで郊外の茶店子バスターミナルに行ったが、このあたりまで来ると昔とあまり変わってないような感じがする。
6時から切符の売り出し開始ということで扉が開き、急いで切符売り場に行って「ルオーガイ(ゾルゲの中国語名)一票(一枚)!」と言うと「没有」という答え。

「え?売り切れ?」と聞き直すと周りの人が、そうじゃなくてバスの便が無いと教えてくれた。どうやら当初懸念していた通りに7月初の洪水のせいで交通網が麻痺しており、まだまともにバスが走っていないという状況らしい。

こうなった時にどこからか現れるのが、闇バスの客引きである。ついて行ってみるとターミナルの端にワゴン車が止まっておりすでに何人か乗り込んでいた。金額はバスよりちょっと高かったが他に手段もないので乗り込み、やがて出発。

数時間走ったところでかつて四川大地震のあった汶川のあたりに近づいて来たと思ったらいつの間にか立派なバイパスを走っている。10年ほど前に来た時はこのあたりはのどかな川沿いの道だったと思うが、2008年の地震後に埋まった町の上に無理やりバイパスを作ったようである。

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最近まで土砂で埋まっていたバイパス。

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崩れた橋と家。

やがて、渋滞につかまり停車。はるか先には地滑りの跡が見える。今日中に着けるんかいな?と思っていたら、交互通行になっているらしくやがて車は動き始めた。

汶川の町でなぜか立派なバスに乗り換え。以前、中国のバスはバス会社が持っているんじゃなくて、バスのオーナーがバス会社にバスを貸していると聞いたことがあるが、非常時なので結局バスオーナーが闇バスをやっているということだろうか?

その後は順調に、茂県、松潘を抜けて行く。このあたりは、チベット系チャン民族の住むエリアで何に使っているのかよくわからない石積みの高い塔が立っていて、のどかな村が多いエリア・・・のはずだったが、かの有名な九寨溝に続く道のせいか今はどこも観光化されすぎてその面影は一切無くなっていた。

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寒村が今や観光名所になっている。
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途中で見つけた看板「仏陀の中国共産党万歳」って・・・??

川主寺の分岐を過ぎれば、やがて大草原が見えてくる。4年ぶりに見る風景に久しぶりの友達に会った気分で口元がにやけてしまう。

その日の夕方には無事にゾルゲ到着。途中でいろいろあって順調ではなかったけど昔はバスがパンクやら壊れるのはあたりまえだったので、それに比べたらずいぶん順調に着いたように思える。
 
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メインストリート。こんな感じだったっけ?

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町中にはソーラー充電式の街灯もある。
 
早速、安くて居心地のいい宿を見つけて荷物を置いて町を散策。10年前は写真をあまり撮っておらず記憶もあやふやなので「こんな町だったっけ?」という感じ。とりあえず前にも行ったことのある郊外のタツァゴンパの大量のマニ車を回しに行く。
自分の知る限りこれ以上マニ車が続くお寺は無いのでこの際だからと数えながら回してみた所、壊れているのを除いて全部で1145個。まあ大変でした。
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この一周全部の通路にマニ車が収められている。
ゾルゲの町を散策していて1つ気がついたことがあった。それはモモが食べたいと思ってチベットレストランを探してみたらほとんど無いことである。1軒だけ見つけたが高そうな店だったので入るのを躊躇したのだが、他はどこも中華料理の店ばかり。当然チベット人もそこで食べている。確かに中華料理に比べてチベット料理はバリエーションに乏しいとか、元々外食の文化があまり無いとかあるが、ここまで無いとは流石に驚きだった。
町自体が大きくなって、多くの観光客がやって来てお金を落としてくれるのはチベット人にとっても悪いことでは無いとは思うが、それにより文化的な一面が欠落して行くのは悲しいことに思う。

次回は、タンコルの町です。
 

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August 19, 2013

チベット・アムド旅行2013年夏(成都)

4年ぶりの成都は驚きの連続。

そもそも空港に着いたもののターミナルがでかくなりすぎて以前がどんなだったかわからん状態。そしていつもの303路のバスに乗って中心に向かっても、高層ビル群で見上げてばかり。どんなお上りさんなんだか・・・。
今回の成都の宿は、”Mr.パンダGH”をbooking.comで予約していた。昔なら”交通飯店”、最近なら”Sim'sGH”とか武侯祠の”夢の旅GH”というところなんだけど、最近出来たここは地下鉄の駅近で便利そうだったから決めた。ただ早朝から地下鉄がつながっている茶店子バスターミナルに行くのに便利だと思って決めたものの、調べて見たら地下鉄の始発は6時半ぐらいで7時発のバスには間に合わない事が判明。使えんやん!
ただ、ここはまだ日本人客は少ないので珍しがられた上にスタッフ(半分ぐらい遊びに来てるだけじゃないか?)がみんなフレンドリーで楽しかったので次回も使わせてもらうことにする。
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成都の街をぶらぶらする。街の中心にある広場は、4年前は工事ででっかい穴を掘っていたのを見たけど今回行ってみたら地下鉄の駅になっていて上は噴水だらけ。しかし共産党の象徴の広場をこんな風にしたら集まれんやん。あ、今は集まられると困るんだっけ?
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広場から南を見るとビル群!変わったよなあ。
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そして、いつかは泊まろうと思い、泊まってみたら大した事なかった錦江飯店は健在。ただ向かい側にあった民航オフィスはなんと芝生になっていた。まあ元々どれが民航オフィスなのかよくわからなかったからいいか。
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そして武侯祠のチベ人街。
スクランブルは今日も警察車両!最近は真四角の移動交番が流行ってるようです。
しかし3台はいらんだろ。
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商店街は日用品屋が以前に比べたらかなり減っていた。その分異様に増えていたのは仏像屋。全体の2~3割は仏像屋じゃないかと思うぐらい。しかもお寺が買って行くのか置いてる仏像がこれまたでかい!
店員に聞いてみたら「最近景気がいいからねえ~」って景気がいいと仏像が売れるのか?
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あと増えていたのは衣装屋さん。しかもド派手でステージ衣装だと思う。そんなにナンマ増えてるのかな?
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ただその仏像屋が増えていたおかげで何年も前から、ず~っと探し続けていたタントンおじさんにようやく出会う事が出来ました。金額的にはネパールの倍ぐらいだと思うけどこれを逃すと2度と会えない気がするので有り金をはたきました。
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また今の流行りは”バター風ローソク”。パッケージを見たら”植物性”とか書いてあったからこれは”マーガリン灯明”だろうか?現物はお菓子のような甘い匂いがするけど、火をつけたら無臭だった。
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次回は、アムドの町をレポートします。

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January 12, 2012

チベット犬物語~金色のドージェ~

成人の日にチベオタ界で話題騒然の”チベット犬物語・金色のドージェ”見てきました。
一緒に行ったのはチベオタ日本人2名とチベット人2名(アムド出身とカム出身)

映画のストーリーとしてはどちらかと言うと子供向けだけど、映像は日本中心に作られたアニメらしくかなり作りこまれていてきれいでチベットの風景そのものでした。
しかし、映画が終われば当然そこはチベオタとチベット人連合のつっこみ大会。これがまた自分も気がつかなかったようなことがちょこちょこ細かいのがありました。

とりあえず覚えているだけでもいくつか紹介。

・チベットの話なのにお寺も坊さんも出てこない。(時代設定が文革中?)
・長老がチベットのお経じゃなくて漢字の本を読んでいた。(たまたま?)
・長老の家が山の上にあったけどあそこはお寺の場所じゃないの?(文革中なので元お寺?)
・犬は羊は追わない。西洋の牧羊犬じゃないんだから。(設定上お礼のつもりらしいし)
・犬はテントで寝させない。絶対に外。(まあ怪我してたし)
・犬は放し飼いにしない。家を守るのが役目。(あれだけ野放ししてたら無茶苦茶怖いわ)
・馬がでかい。チベットの馬ってもう少し小さかったはず。
・男性は赤いダシェを巻いてカムなのにメイドラム?はアムドっぽい。(彼女はアムドから来たということで)
・ドンモでかすぎ。しかも片手で混ぜてた。(メイドラムは力持ちということで)
・メイドラムなんて名前はチベットで聞いたことがない。(メトドルマかメトラモの間違い?)
・熊は草原にはいない。森の中にいる。(日本でも町に出てくることあるし)
・ロッパ族(モンパじゃなかった)が住んでる場所とカムは離れすぎなので簡単に行けない。(ずいぶん遠いところまで行ったんだね)
・遊牧民はあんなに早くしゃべらない。(日本にいるチベット人はみんなよくしゃべる)
・表情が日本人っぽい。(・・・・。)

色々残念な部分はあるけどつっこみも許せるような内容ばっかりなのでそれだけ完成度は高かったということか?
祭日で観客は200人ぐらいの映画館に50人ぐらいでした。とりあえずいつ終わるかわからないので行くならお早めにどうぞ。

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抽選で当たったパンフ。主演声優の濱田くんの字が・・・

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March 05, 2010

3月の関西でのチベット関係のイベント

3月は関西でもチベット関係のイベントが”てんこ盛り。

そんな中、私も21日に出演しますのでお時間ある方はご参加ください。

◆3/7(日)
   バイマーヤンジン(ペマヤンジェン)講演会
   @寝屋川市立中央公民館
◆3/10(水)
   チベットを知ろう、祈ろう@大阪
   宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会
   16:00~@ミナミで僧侶によるピースウォ-ク
   18:00~@チャクラ(北浜)祈りの集い
◆3/12(金)~3/14(日)
   チベットの真実を知るドキュメンタリー特集
   ~2008年を忘れないために~
   @神戸市映画資料館
   チベット映画上映(チベット騒乱の真実、ジグデル他)
◆3/14(日)
   3.14大阪フリーチベットデモ
   @大阪ミナミ
◆3/14(日)
   バイマーヤンジン(ペマヤンジェン)講演会
   @兵庫県たつの市 赤とんぼ文化ホール
◆3/20(土)~3/28(日)11:00~18:00
   チベット祈りのかたち展vol.2
   @大阪府堺市 ぎゃらりぃホンダ
   美術品、アクセサリー、工芸品の販売。ライブ(3/27)。
◆3/21(日)
   「チベットってどんなとこ?
   映画上映&チベットの今を語る対談会
   @大阪市立中央青年センター
   映画上映、対談(
※風来坊出演予定
   チベット音楽ミニライブ

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January 11, 2010

サピオに法王の記事/アポ・アワン・ジグメのこと

現在発売中の雑誌SAPIOにダライラマ法王のインタビュー記事が載ってた。

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その中で実際に私も気づかずに使ってたけど”チベット亡命政府”という呼称は適当で
は無く”チベット中央政府”というのが正式な呼称になるのですね。以後気をつけます。

あと驚いたのは”一番感銘を受けた人物が毛沢東”というのはどういうことなんだろうか?その前後に続く言葉がありそうだけどそこまで書いてない。”会った当初は・・・”とか”今は・・・”とか無いのかな?

それと最後にある”日本政府に何も望むことはない”というのは、どういうことなんだろう?法王のことなので嫌味で言ってるつもりは無いだろうし、これは日本人としてはなんとも凹む言葉ですなあ。

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もうだいぶ前だけどアポ・アワン・ジグメ(ンガプー・ンガワン・ジグメ)が亡くなった。

映画セブンイヤーズインチベットの中では、チベットを中国に売った裏切り者で怒ったハラーがもらった服を返すというくだりがあったが、その反面ダライラマ法王の著書の中では”アポでさえ避けることが出来なかった”と擁護するようなことが書いてあったので以前からいったいどっちが真の姿なのだろうと気になってウィキペディアを読んでみたら、まあ中立的な書き方ではあるけどどちらかというと親中国的な立場であったようである。

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では当のチベット人はどう思っているのか気になって、知り合いのチベット人にどう思うか聞いてみたら今では裏切り者とは思われていないということだった。

昔は、武器庫を爆破して逃げたとか、勝手に中国と17ケ条協定を結んだとかで裏切り者としてチベット人から嫌われていたけど、その後本人が「武器庫は奪われる前に爆破した」「17ケ条協定は後ろから銃をつきつけられて調印した」というような発言をしたことで見直されたという。

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同様に前のパンチェンラマ10世も当初は裏切り者として嫌われていたけどその後の発言で見直されたこともあった。

まあチベット人でもいろんな意見はあるだろうけど、今回のことでものの見方は一方からじゃダメやなと実感ですわ。

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